事業成果物名

2014年度「人道の船 陽明丸」に関する調査及び発信事業報告書

団体名

事業成果物概要

①NPO法人人道の船陽明丸顕彰会について
 20世紀初頭、ロシア革命後の混乱時、内戦のためにシベリアに取り残された約800人の子供難民を乗せ、地球をほぼ一周する大航海の末、無事親元に送り届けた陽明丸。
当NPO法人は、この知られざる歴史を精査検証し、併せて日露米の関係三カ国市民による国際交流をベースにこの優れた事績を顕彰し、後世に伝えていくことを目的にしております。
 私たちはこの陽明丸の事績を通して、国際連帯と義侠心の双方を発露した素晴らしい祖先がいたことに誇りを持つべきと考えます。

②人道の船陽明丸の事績について
 百年ほど前、革命や内戦で混迷の極みにあったロシア。酷い食糧難のため首都ペテログラードを離れ、遠くウラル地方に疎開した約800名の子供たちがいました。しかし、疎開先でも激しい内戦に巻き込まれ、やがて訪れた酷寒の地で孤立し凍死や餓死の危機に直面したのです。彼らを危機一髪で救い出し、手厚い保護を与えたのがルドルフ・トイスラー博士率いる米国赤十字シベリア救護隊でした。子供たちは比較的安全な極東ウラジオストックまで移されたのですが、やがてそこにも戦火が及ぶようになりました。
 これを懸念した救護隊隊長ライリー・アレンは子供たちを船に乗せ、地球をほぼ一周して親元に返そうと決意しました。ただ、あまりにも無茶な計画とみなされ、米国政府も含め方々から背を向けられる中、やっと応じてくれたのが日本船陽明丸でした。
 神戸の船会社社長勝田銀次郎氏所有の陽明丸に帰還捕虜も加えた総勢一千名の乗員・乗客が乗り込み、二つの大洋と機雷漂う危険な北海を通過し、ついに隣国フィンランドに到着したのです。大方の子供が無事親元に戻ることができましたが、疎開の日から二年数か月の月日が流れていました。
 
③陽明丸事績究明の経緯について
 陽明丸の功績はその後一世紀の間、歴史の闇に埋もれていました。ところが、2009年にサンクトペテルブルグで個展を開催した北室南苑・当NPO理事長の下へ、ロシア子供難民の子孫であるオルガ・モルキナ女史が訪れ、陽明丸船長の探索を懇願したことに始まるのです。
 そして二年間の努力の末、ついにこの船長が「茅原基治」氏であることを突き止めたのです。また、船長自身の貴重な手記も併せて発見されました。
2011年にはモルキナ女史が初来日し笠岡市で船長の墓参が行われ、2013年にはこの年に設立された当NPOがモルキナ女史を招聘して顕彰式典等の記念イベントを実施しました。そして、2014年10月には、米国の研究者アデーレ・リンデンマイヤー教授も新たに加わり、日露米関係者による第二回顕彰事業を開催したものです。
 

助成機関

事業成果物種類

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事業成果物

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NPO法人 人道の船陽明丸顕彰会 リーフレット

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「人道の船 陽明丸」に関する調査及び発信事業報告

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