事業成果物名

観光振興と交流事業

団体名

事業成果物概要

観光振興と交流事業についての考察

*田舎暮らしも金はいる
疲弊する一方の地方地域において特に経済の活性化は大きな課題である。環境や景観などの観点から地方の価値を見いだす動きは今や盛んである。しかしながら霞を喰って地方の人は生きているわけではない。都会人は勝手な思いこみで田舎の人達が環境を守りひっそりと生きているというイメージを抱きがちである。実際には都会も地方も同じ様な消費社会の中にあり経済活動自体あまり差がないのが実情だ。それは取りも直さずお金が無ければ田舎でも生活できないという当たり前のことなのだ。
 過去には農閑期に出稼ぎで一家の生活を支えてきた主達。それが公共工事の広がりと共に地元での土建事業に従事するようになった。出稼ぎに行く必要は無くなったがそれは皮肉な事に故郷を常に切り崩す作業に従事するという事である。巨大なダム工事は20年掛かりの長期プロジェクト。その間に子供は大人になるが自分が生まれ育った故郷は消え失せた。
 実際に巨大プロジェクトといっても地元に落ちる金は僅かなものである。その大半は大手ゼネコンが持って行くのだ。このように巨大プロジェクトが必ずしも地元に有益とは限らない。
 バブル崩壊以降このような巨大プロジェクトは一部を除き消滅したに等しい。しかしながら観光振興の名の下にまったく持って効果を上げない投資が続けられた例もある。全国で展開された陳腐なテーマパークは暫く悪あがきをしたあげく地方経済を悪化させる原因となった。それなのに未だにこのような内容を精査しない悪質な観光投資が後をたたないのが実情である。
 現在は都心部と住民との交流をスローガンにあいも変わらない箱物投資を行う自治体が増えつつある。正直に言って彼らは観光振興と交流事業の区別がついていない。
 元々観光地では無い所が箱物を建てただけで客が引きも切らない様な状態になる訳はない。ましてや地の利が無いとなると尚更だ。そのような地域に交流を旗頭に陳腐な施設を造って一体何が起こるというのか。
何も起こらない。借金と維持費のツケが残るだけだ。

観光振興と交流事業の違い
 観光振興とは物見遊山の一見さんが多くやってくる事が前提となっている。インフラの整備、情報の提供、サービスの開発。実に多くの要素が含まれるのが観光振興だ。そして一番重要な事はその核になるものだ。観光は核になる物があって始めて成立する。結局それがないから巨大投資で箱物を造るような観光振興が過去に再三行われて来たのである。
 交流事業は全く違う。人と人とが文字通り交わる事で新たなる可能性を見いだすのが交流事業だ。観光はサービス業であり基本的に一方通行だ。交流事業は人と人とがお互いに影響を与え合い変化を起こす場である。そこにはサービスを提供する人と受ける人という関係性は極めて薄い。お互い様なのである。
 それは小さな運動でありそこから起こる経済効果も小さなものだ。いきなり年間○万人の人が訪れて経済波及効果が○億円などという試算が出来る筈もないしまたしてはならない。小さな可能性の糸を紡ぎながらまた次の糸を探る。地味で気の長い作業だ。しかし大きな投資も必要とせず確実に進めて行くにはこの方法しかないのである。

マタギの里での実例
 阿仁でミニかんじきを作っている人がいた。このミニかんじきを或る農業雑誌に私が取り上げた事がある。送って来た掲載紙のページをめくるとその前ページにクロモジ茶の話題が小さな囲み記事で載っていた。かんじきの材料はクロモジである。この記事がヒントになり彼は工夫を重ねて独自にクロモジ茶を開発しそれがヒット商品となった。
 この成功は勿論本人の力が一番大きい。しかし本に載らなければ商品そのものが生まれる可能性も無かったのである。交流とはこのような可能性を生み出すことだと言える。異業種間の交流は何も都会の企業人の間でしか必要なものではない。ビジネスのチャンスが少ない地方地域にこそ重要なのである。

コーディネーターの必要性
 人が訪れて地元民と様々な体験をする。それを通して地元民は自分達の可能性を知りそこから新たなる物(ソフトや物品)を作り出す。それは直接的な経済に結びつきその価値を継承して更なる発展を後進に託すことも出来るだろう。
 それこそが交流事業の目指す所なのだ。その地で生きる意味と知恵を子孫が受け継ぐ、地方地域を健やかに残して行くにはそこに価値を見いだす必要がある。
 そこで交流事業を円滑にまた効果的に行うには専門のコーディネーターが必要ではないだろうか。単に人を連れてくる観光ガイド的な役割ではなく訪問者が何に喜び驚き、何を欲したかしっかりと把握する人。そしてそれを次の段階作りのためにきちんとデータ化して地元民に提供し新たなる提案を出来る人。これこそが交流事業には欠くべからざる存在だと思える。
 単に人が来てイベントをこなして帰る。それを年間に数回こなせば交流だと言えるものではない。交流は必ず何らかの動きが伴うのである。それを把握する力が無ければ交流事業の意味を失うのだ。

まとめ
 地方地域は今危機的状況が続いている。過疎化高齢化に加えて自治体の財政難は住民の基本的な生きる権利すら脅かしかねない状況だ。この様な状況で旧態依然とした箱物行政は自殺行為である。幸いなことに今は環境問題や食糧に対する感心が高まりつつある。これを好機として捉え少しでも地域の活性化に繋げるべきだ。しかしながら前述したようにそう簡単に結果は出ない。少しずつ確実に進める意志と心意気が求められるだろう。
地域を救うのはその地域で暮らす人の力が最重要である。しかしその力を大いに開花させるには外部の刺激がまた必要な事も事実だ。“お互い様、お陰様の心”がきっと日本を救うに違いない。

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