事業成果物名 |
幕末最強の軍艦 開陽丸と塩竈
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団体名 |
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事業成果物概要 |
今から140年前、日本は近代的な中央集権国家の道を歩み始める、明治維新の動乱の時代であった。1868年(慶応4)1月、鳥羽伏見の戦いに始まる戊辰戦争が起こり、徳川幕府海軍副総裁榎本武揚ら旧幕臣たちは、北の大地に蝦夷地共和国の建国を目指し、様々な思いを秘めて一隻の船「開陽丸」に夢を託した。開陽丸は、徳川幕府が海軍増強のため、オランダに建造を依頼。オランダでの愛称は"Voorlihter"(夜明け前)。進水式の新聞、雑誌の記事には、「民間の造船会社が最大の船を進水した。」と、大きな関心を集めた最強の軍艦であった。
1868年(慶応4)4月、江戸城の無血開城により、新政府軍から開陽丸の引き渡しを命じられた榎本は、旧幕府軍約2,000人と共に、開陽丸を旗艦として8隻の船に乗り込み、一路塩竈を目指し、江戸品川沖を脱出した。途中、銚子沖で暴風雨に遭い、大西洋を横断した咸臨丸など二隻の船を失いながら、8月末、塩竈の石浜に錨を降ろしました。このパネル展では、函館戦争に関わる絵図やフランス軍事顧問団として来日し、旧幕府軍に加わったジュール・ブリュネ砲兵大尉が残した塩竈や松島、岩手県宮古市等の当時の姿のスケッチ画、寄港地の浦戸地区の古写真。そして、開陽丸の古絵図や遺品などを展示し、開陽丸や榎本武揚、ジュール・ブリュネなどの歴史上の人物と塩竈の関わりの一端を紹介し、地元でもあまり知られていない戊辰戦争と塩竈の関りについて、子供たちの含めた多くの市民や市外の方々に情報発信するパネル展の開催及図録(小冊子)を編纂した。 |
助成機関 |
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事業成果物種類 |
冊子
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事業成果物 |